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55年間領空を守ったF-4ファントムが退役、水原空軍基地で歴史の中へ

55年間領空を守ったF-4ファントムが退役、水原空軍基地で歴史の中へ

Posted June. 08, 2024 09:05,   

Updated June. 08, 2024 09:05

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「アデュー、空のゴブリン」

7日、水原(スウォン)空軍第10戦闘飛行団では、1969年に米国から初めて導入された後、55年間韓国領空を守ってきたF-4ファントム戦闘機の退役式が行われた。F-4は最大約190機まで運用されたが、水原基地の最後の3機が同日退役したことで、「空のゴブリン」は歴史の1ページに残ることになった。

「ファントム01、最後の任務を成功裏に完遂して帰還するように。ファントム01出撃」

申源湜(シン・ウォンシク)国防部長官の出撃命令により、2機のF-4Eは滑走路から飛び立ち、最後の飛行を開始した。続いて、F-4初導入当時、パイロットと整備士としてそれぞれ勤務していたイ・ジェウ東国(トングク)大学名誉教授(予備役少将)とイ・ジョンオク予備役准将など、元任務要員に感謝状と表彰状が授与された。李氏が、「空のゴブリン、F-4ファントムよ、さようなら」と言うと、客席から拍手が沸き起こった。

飛行後、基地に着陸した2機のF-4Eから降りたキム・ドヒョン少領(40・空軍士官学校56期)ら4人のパイロットは、申氏に任務終了を報告し、操縦桿を贈った。55年間続いたF-4のすべての任務が終了したことを象徴する瞬間だった。申氏は、F-4Eに「名誉転役章」を授与し、機首に祝福の花輪をかけた。機体に「伝説を越えて未来へ!」という記念の文言も書いた。続いて、F-4と苦楽を共にした予備役や最後までF-4と共にいた第155戦闘飛行隊員ら水原基地の将兵たちも別れの挨拶をした。

後輩戦闘機の祝賀飛行も続いた。F-16戦闘機5機はF-4の任務期間(55年)を象徴し、飛行中に55発のフレア(敵ミサイル回避用赤外線閃光弾)を発射した。F-4が配備された大邱(テグ)、清州(チョンジュ)、中原(チュンウォン)基地をそれぞれ代表するF-15K、F-35A、KF-16の編隊飛行で行事は幕を閉じた。半世紀以上活躍した「空のゴブリン」にまつわる逸話も多い。1969年8月に米国で初めて導入された6機のF-4Dのうち1機を操縦したカン・シング中領(当時38歳)は、当時トップ俳優だったシン・ソンイル氏(本名カン・シンソン、2018年死去)の実兄だ。

F-4は当代最強の戦闘機で、1971年の小黒山島対スパイ船作戦、1985年の釜山(プサン)対スパイ船作戦などで多くの戦績を残した。1983年、北朝鮮軍のイ・ウンピョン大尉が乗ったミグ機の亡命誘導、1998、ロシアのIL-20偵察機の識別・迎撃なども成功裏に遂行した。


尹相虎 ysh1005@donga.com