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ありのままの私

Posted June. 19, 2024 08:37,   

Updated June. 19, 2024 08:37

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「私はまだ足りない」(ケルシー・マン「インサイド・ヘッド2」)

不安はネガティブな感情だけではない。これから起こることを予測させ、それに備えるようにする役割もある。嫉妬の感情も同様だ。自分の不足を見つけ出し、より成熟した自分に導くこともあるからだ。しかし、問題はこれらの感情が過剰になるときだ。過度の不安はその人の魂を蝕んでしまったり、過度の嫉妬は自己卑下につながったりもする。ディズニー・ピクサーの「インサイド・ヘッド2」は、まさにこの不安と嫉妬のような感情が引き起こす事件を描いた作品だ。

映画は思春期を迎えたライリーの感情コントロール本部に生じた変化から始まる。シンパイ、イイナー、ダリィ、ハズカシという新しい感情のキャラクターが登場し、彼らはヨロコビをはじめとする既存の感情を追い出した後、本部を支配してしまう。新しく登場したキャラクターのリーダーがシンパイというのは、思春期を迎えた青少年が持つ不安感をよく表している。シンパイは「私はいい人だ」と感じるライリーの自我を遠ざけ、代わりに「私はまだ足りない」という新しい自我を立てる。何をやっても足りないと感じる劣等感は、ライリーが過剰な行動を起こし、最後には暴走するようになり、ライリーは「私はまだ足りない」と延々と心の中で言い聞かせる。

この物語は、ライリーという一人の思春期の少女の感情から起こった出来事を描いているが、どこか私たち韓国人の姿が重なる。よりよく生きるために生存競争のように努力して圧縮成長を成し遂げたが、それでもその慣性の中で激しく生きている私たちの姿がそれだ。むろん、懸命に生きることは悪いことではないが、ありのままの自分を受け入れ、自足することに慣れていないのは事実だからだ。今こそ、不安や嫉妬に振り回されるのではなく、その感情さえもありのままの自分として受け入れる、より成熟した生活態度が必要ではないだろうか。