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燃える6月

Posted June. 20, 2024 08:50,   

Updated June. 20, 2024 08:50

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ある若い女性が猫のように体を丸めたまま、大理石のベンチに横になって眠っている。ひらひらした明るいオレンジ色のドレスが見る人の視線を圧倒する。フレデリック・レイトンが描いた「燃える6月」(1895年・写真)は、最も愛されるビクトリア時代の名画の一つだ。だが、タイトルがどうして「燃える6月」なのだろうか?

レイトンは19世紀末、英国で最も尊敬される芸術家の一人で、20年近く王立アカデミー会長を務めた人物だ。この絵を描いたのは、彼の名声がピークに達していた65歳の時だった。絵は、道徳的教訓より絵画の純粋な美しさと視覚的快楽を重視した彼の芸術的態度をそのまま表している。モデルのポーズは、ミケランジェロの彫刻「夜」を参照した。実際、モデルの体は非現実的だ。長く伸びた太ももと首、折れた腕はほぼ完璧な円を成すが、解剖学的に不可能なポーズだ。女性の後ろには、太陽の光を浴びて光り輝く海が描かれている。右側の植物はキョウチクトウで、地中海性気候では6月に最も大きな花が咲く。おそらく、画家は6月のある日、自分のアトリエで眠っているモデルの姿を見て、この絵のインスピレーションを得たのだろう。なぜ絵のタイトルが「燃える6月」なのかが説明される。最も目を引くのはオレンジ色のドレスだ。肌が透けて見える上、眠っている女性の頬も赤く上気していて、鑑賞者たちの想像力と好奇心を刺激する。実際、画家とモデルが恋人関係に発展するのは、あの時代にはありふれたことだった。

この絵は1895年、王立アカデミーの展示に出品され、大きな賛辞を受けた。翌年1月24日、レイトンは英王室から男爵の爵位も受けた。画家としては初めてだった。しかし、翌日、狭心症でこの世を去った。たった2日間で、彼は人生最高の名誉と虚無をすべて経験したことになる。結局、絵は、キャンバスの上で生涯最後の情熱を燃やした画家の熱かった6月を代弁するイメージになった。