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アサンジ被告、米国への送還なく釈放へ

Posted June. 26, 2024 08:34,   

Updated June. 26, 2024 08:34

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2010年、自身が創設した告発サイト「ウィキリークス」で米国政府の機密文書などを大量に公開し、スパイ活動法違反で起訴されたジュリアン・アサンジ被告(52・写真)が、米国に引き渡されることなく10年以上の逃避生活を終えることになった。米裁判所に罪を認め、約5年の禁錮刑を言い渡される一方、英国での収監期間が差し引かれ、釈放されるという。

米紙ワシントン・ポストなどは24日、米司法省の書類を引用して、「アサンジ被告が2日後、米国領サイパンの裁判所に出頭して有罪を認める」と伝えた。同裁判所は、アサンジ被告に62ヵ月の刑を宣告し、19年4月から今月23日までの英国での収監期間を刑期に参入する予定だ。これにより、24日に英国の刑務所を出所したアサンジ被告は、サイパンを経て直ぐに釈放され、母国であるオーストラリアに戻るという。

ハッキングに長けていたアサンジ被告は、06年にウィキリークスを創設し、10年に米陸軍のチェルシー・マニング元情報分析官が取り出した米軍事・外交機密文書数十万件を掲載し、全世界を衝撃に陥れた。当該文書には、イラク戦争とアフガニスタン戦争当時の米軍の戦争犯罪やグアンタナモ収容所の人権侵害など、敏感な内容が多数含まれていた。

同年、マニング氏が逮捕された後、アサンジ被告も逮捕される危機に陥ると、12年、アサンジ被告は亡命許可を出した反米であるエクアドルのロンドン駐在大使館に避難した。英国が米国と犯人引き渡し条約を締結したため、大使館から一歩も出ることができなかったアサンジ被告は、「宇宙船に暮らす気分」と話した。

7年近く大使館にいたアサンジ被告は、エクアドル政府とも仲が悪くなり、19年に庇護が取り消されて行き場を失った。その後、トランプ米政権が「1917年のスパイ防止法(Espionage Act of 1917)」違反やスパイ活動など18の容疑で起訴し、英国警察に逮捕された。その後、アサンジ被告は英国の刑務所に収監された。

そのまま米国に送還されるかと思われたアサンジ被告は、英国裁判所がブレーキをかけ、長い間法的攻防が繰り広げられた。アサンジ被告側が、「米国に行けば175年の懲役刑が科せられる可能性がある」と訴訟を起こすと、英裁判所は、「アサンジ被告には過酷」と判断したのだ。米国は被告が必ず裁判所に出頭し、有罪を認めなければ刑を執行することができない。5年以上収監された状態で攻防が繰り返されたこの事件は、最終的に米司法省とアサンジ被告側の合意で一段落した。

一部では、米政府の今回の決定が、「言論を弾圧する」という国際社会の批判世論を考慮したという見方もある。これまで欧米社会ではアサンジ被告の釈放要求が絶え間なく続いていた。オーストラリアのアルバニージー首相やドイツのショルツ首相などが、アサンジ被告の米国送還に反対したことも影響を及ぼしたとみられる。


イ・チョンア記者 clearlee@donga.com