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イラン、新しい春? 長い冬?

Posted July. 09, 2024 08:48,   

Updated July. 09, 2024 08:48

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イランの大統領選挙で、改革派のマスード・ペジェシュキアン氏が当選した。1978年、ホメイニ師の革命成功後、イランがイスラム原理主義の枠組みに固く閉ざされた時、「あの体制は、どれほど長く続くだろうか」と考えた人々は少なくないだろう。パフラヴィー王朝は腐敗と無能で悪名高くはあったが、イランは資源と成長潜在力が豊かな国であり、ミニスカートが流行するほどイスラム国家の中では開放性が最も高い国だった。

しかし、ほぼ半世紀の間、イランは正統派ムスリム国家として安定的に暮らしてきた。国際社会ではシーア派の後援者として、強硬抵抗勢力の背景となった。そんなイランで、強硬派の大統領がヘリコプター事故で死亡した。このような事故にはよく疑惑がつきまとい、報復心理というのがあって、より強硬な人物が選出されてもおかしくない。その上、イランに向けた米国の制裁は解除される兆しが見えない。イスラエルとは一度ミサイル戦があり、イランの後援を受けるフティやヒズボラは準戦時状態だ。個人的には、イランがレバノンであれシリアであれ、地上軍を派遣する状況は起きないと思うが、対内外的な戦争圧迫は小さくない。にもかかわらず、改革派の人物が54%の得票で当選したということは、誰も予測できなかった変化だと言える。

この変化がどこまで続くかは分からない。直ちにイラン社会で可視的な変化が現れるという期待は性急だ。氷山の下の氷が溶けていても、変化には長い時間がかかる。国民の心の変化、心情の不安を代弁する出来事として終わる可能性もある。心の中に暮らしの不便さが累積されていることと、人生の目指すところや体制変化を追求することとは違う。おそらく次の世代には、変化と方向性が確実になるだろう。長すぎるって? 歴史から見れば、その程度なら非常に短い成功だ。それさえも、このような小さな努力があきらめずに着実に持続されなければならない。