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「山のうねりを一人で行くように」 歌謡界の星・歌手ヒョンチョルさんが死去

「山のうねりを一人で行くように」 歌謡界の星・歌手ヒョンチョルさんが死去

Posted July. 17, 2024 08:53,   

Updated July. 17, 2024 08:53

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24歳でソウルに上京し、初アルバムを出したが、反応は芳しくなかった。デビュー5年目にして、荷物をまとめて故郷の釜山(プサン)に帰ったりもした。しかし、音楽に背を向けることはできなかった。その後も、無名生活は長く続いた。しかし彼は耐えた。「歌は熟成しなければならない。いくら急いでいても遠回りする」。彼の信条だった。

「触るとぽんと…」で始まる「鳳仙花恋情」で1989年に「KBS歌謡大賞」のグランプリを受賞し、歌謡界のトップに立った時は47歳だった。遅咲きの歌手だった。「60歳を過ぎて新曲を検討する時も、『この曲は、約5、6年後に出そう』というほどだった。みんな『速く速く速く』と言う時、待つ方法を知っている人だった」(作曲家チョン・ウォンス氏)

彼ならではの渋みのある歌い方と柔らかいボイスで、1980年代と90年代に歌謡界を風靡した歌手ヒョンチョルさん(本名カン・サンス)が15日夜、ソウル広津区(クァンジング)の病院で亡くなった。享年82歳。

故人は、4年前に腰椎椎間板ヘルニア手術を受けた時、神経が損傷して健康が悪化し、最近は肺炎まで重なり、2ヵ月間集中治療室に入院していたという。大切にしていた孫をはじめ、家族が集まった最後の見送りの時に、家族は故人が最も大切にしていた曲「私の心の星のように」を流して、耳の近くに当てて聞かせたという。「私の心の星のように/あの空の星になって永遠に輝く」

ヒョンチョルさんの最初のヒット曲はデビュー14年目に出た。間借り生活を転々としていた彼が苦労した妻を思い浮かべながら作った「座っても立ってもあなたの考え」(1982年)で、名を馳せたのだ。40歳の時だった。続いて「愛は蝶のようだ」、「私の心の星のように」に続き、1988年に発表した「鳳仙花恋情」で「国民的トロット歌手」の仲間入りをする。ソン・デグァンやソル・ウンド、テ・ジナと共に「4大天王」と呼ばれ、トロットの全盛期を導いた。

有名人になった後も、ヒョンチョルさんは気さくだった。渋い慶尚道(キョンサンド)なまりで後輩たちに酒をおごり、ご飯をおごる長兄だった。町内で商売する隣人たちと気兼ねなく安否を尋ね、電車などの公共交通機関もよく利用した。歌手のテ・ジナさんは、「ヒョンチョル先輩は、何よりも情が深かった。私が賞を受賞すれば、私の手を握って泣いてくれたし、私もそうした」とし、「大韓民国トロット界の最高の歌手なのに、歌謡界の大きな星になってとても残念だ」と話した。

故人は善行芸能人として、首相表彰や大韓民国芸能芸術賞特別功労賞(大統領表彰)、玉冠文化勲章などを受章した。遺族には配偶者のソン・エギョンさん、息子のボクドンさん、娘のジョンスクさんがいる。遺体安置処はソウル峨山(アサン)病院、出棺は18日午前8時40分。お問い合わせは02-3010-2000まで。


キム・ソミン記者 サ・ジウォン記者 somin@donga.com