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石だけの「議政府跡地」の復元、想像力を許せ

石だけの「議政府跡地」の復元、想像力を許せ

Posted July. 20, 2024 08:49,   

Updated July. 20, 2024 08:49

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「所々に『石』ばかりで、荒涼としていて、どういう意味なのかよくわかりませんね」

18日、ソウル鍾路区光化門(チョンノグ・クァンファムン)前の「議政府池(ウィジョンブジ)歴史遺跡広場」で会ったイさん(48)は、「夏休みを迎えて子どもたちと景福宮(キョンボックン)の見回って来たけど、期待に及ばない」とし、このように話した。周りの外国人観光客も、英語で書かれた立て看板と「石」にさっと目を通し、向かい側の景福宮に急いで足を運んだ。

彼らが見た「石」は、朝鮮(チョソン)時代の議政府の建物の跡の位置を知らせる礎石のレプリカだ。朝鮮時代の本物の礎石は、覆土された芝生の下に埋められている。ソウル市は、議政府の跡地で約8年間の発掘調査と整備を終え、先月、歴史遺跡広場を公開した。

ところが1万1300平方メートル規模の広場には、礎の再現品とトイレ、いくつかのベンチが全てだ。入口の立て看板には、議政府の歴史的淵源などが記録されているだけで、いざここで生きていた鄭道傳(チョン・ドジョン)や黄喜(ファン・ヒ)丞相など主要人物の話はただの一行も見当たらない。古建築や朝鮮史に精通せずには、石だけを見て歴史的意味を吟味することは容易ではない。

朝鮮時代の議政府は、単なる国家機関ではなかった。朝鮮王朝最高の宮殿(法宮)である景福宮正門(光化門)の東側の最初の場所に置くほど、最高行政機関としての地位を持っている。何より議政府は、朝鮮を設計した改革家鄭道伝のビジョンと統治哲学が凝縮している。彼は「朝鮮経国伝」に、「王は、愚かなことも賢明なこともあり、強いことも弱いこともあり、一様ではない。したがって宰相は王の短所を補完し、長所を生かして正しい道に導かなければならない」と書いた。王朝国家であるにもかかわらず、1人ではなくシステムで国家を動かすべきだと考えた彼の革命的思想がにじみ出ている。彼が構想した朝鮮は、国王の万機親覧を防ぎ、宰相が実質的な統治を主導する国だった。安定した国政運営を通じて、国民を楽にするという苦心の産物だ。

これに伴い、行政の各省庁に当たる六曹が、三政丞で構成された議政府を経て王に報告したり、指示を受ける構造が定着した。議政府は、王命であっても問題があれば、六曹に下達する前に異議を唱え、王権を積極的に牽制した。クーデターで政権の座に就いた太宗(テジョン)と世祖(セジョ)が、六曹直啓制(王が六曹に直接指示したり報告を受ける制度)を施行し、議政府を無力化させた理由だ。最近、過度に集中した大統領室の力を抜いて、省庁の政策リーダーシップを回復させなければならないという主張の根源には、このような歴史的伝統がある。

議政府の多様な歴史的意味を市民にきちんと伝えるためには、いくつかの礎だけでは足りない。文化遺産界の一部からは、その代案として公演や音楽会、討論会などを通じて議政府とここを経た人物の話を盛り込んだストーリーテリングが必要だと助言する。集団知性で国政を主導した議政府の意味を生かし、政策討論の会場を設けるのも一つの方法だ。訪問客の理解を深めるため、建物の一部を胴体まで復元したり、慶州皇龍寺址(キョンジュ・ファンリョンサジ)のように遺跡の外郭に展示館を建てることも考えられる。

もちろん、文化遺産の原型を最大限維持するために、遺跡の覆土後に礎石の再現品だけを置いた市当局の決定も理解できないわけではない。しかし、文化遺産の保存だけに偏り、活用を疎かにした時代は過ぎ去った。