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故金敏基さんの出棺式、「朝露」の合唱の中で最後の道に

故金敏基さんの出棺式、「朝露」の合唱の中で最後の道に

Posted July. 25, 2024 08:35,   

Updated July. 25, 2024 08:35

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「長い夜を明かし、草の葉ごとに結ばれた/真珠よりもっと美しい朝露のように/私の心に悲しみが粒々と結ばれた時…」

24日午前、ソウル鍾路区大学路(チョンノグ・テハクロ)の旧「学田(ハクジョン)」小劇場前。故金敏基(キム・ミンギ)さんを乗せた霊柩車に遺族が搭乗し、これから葬地に行こうとすると、誰かが「朝露」を歌い始めた。二重三重に並んでいる数十人の追悼客はすすり泣き、大声で一緒に歌った。静かだった雨粒が急に大きくなった。雨が、涙が、いや悲しみが流れた。誰かが叫んだ。「愛しています、先生。愛しています。愛しています」

金さんの最後の道は、寂しくなかった。劇場前の故金光石(キム・グァンソク)の歌碑の前には、市民たちが置いて行った焼酎、マッコリと菊の花束が並んでいた。遺族は遺影を抱いて昔の学田内部をしばらく見て回った。学田出身の俳優ソル・ギョングとチャン・ヒョンソンは我慢するかのように唇を固く噛んでいたが、溢れ出る涙を止めることができなかった。俳優のオ・ジヘやパン・ウンジンは顔を覆ったまま嗚咽した。

霊柩車が去った後も、追悼客たちはしばらくその場から離れることができなかった。サクソフォニストのイ・イングォン氏は、降りしきる雨の中で故人の曲「美しい人」を演奏した。涙は再び波のように広がった。「家族葬をすることになったので、私たちはここで先生をお送りします。最後までありがとうございます」。チャン・ヒョンソンはかろうじて口を開き、その時になってようやく人々は一人二人と足を運んだ。

「朝露」などの歌で1970年代の軍部時代に「青年精神」を植え付け、学田で上演した創作ミュージカルで大学路の象徴になった金さんは、こうして土に還った。彼はこれに先立ち、胃がんステージ4を闘病し、21日に73歳で死去した。

1971年、金敏基作曲の「朝露」でデビューした歌手のヤン・ヒウンは24日、ラジオで金さんを「幼い日の偶像」と呼んだ。「私が歌ったあの方の作品が、思い浮かびます。当時、一緒に音楽をしていた多くの先輩の顔も一緒に思い浮かびます。多くのリスナーの方が金敏基先生の冥福を祈ってくださいました。ありがとうございます」と話した。これに先立って、金さんのソウル大学後輩である李秀滿(イ・スマン)元SMエンターテインメント総括プロデューサーは前日、遺体安置処を訪れ、弔問客の食事費の名目で遺族に5000万ウォンを渡した。香典を受け取らなかった遺族は感謝の意を表し、これも返したという。


イ・ジユン記者 leemail@donga.com