「五輪金メダル何個が目標」、そんな考え方で運動する時代は過ぎた
Posted July. 27, 2024 09:04,
Updated July. 27, 2024 09:04
「五輪金メダル何個が目標」、そんな考え方で運動する時代は過ぎた.
July. 27, 2024 09:04.
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五輪メダルは一つひとつが大切だ。金メダルならなおさらそうだ。五輪の金メダルを取れる機会を拒む選手は、世界中どこにもいない。史上最高のテニス選手と言われるノバク・ジョコビッチ(37、セルビア)でさえ、「私にはまだ、五輪金メダルの夢が残っている」としてパリ五輪に出場した。ジョコビッチは、四大大会シングルス最多優勝記録(24回)の保持者だが、以前の4回の五輪では、金メダルを一つも獲得できなかった。ただ、どのような過程を経て五輪の金メダルを目標にするようになったのかは別の問題だ。大人の週末ゴルファーの中で、「五輪の金メダルを取るためにゴルフをしている」と言う人は誰もいないだろう。両親と一緒にフィールドに出た10代のうち1人か2人はいるだろうか。にもかかわらず、全国に8100を超えるゴルフ練習場は盛況だ。どんな運動でも、いったん楽しくなったら、もっとよくなりたい(play better)と思って、もっと熱心に努力したい(works harder)という気持ちになるのが人間の本能だからだ。楽しさに気づいた人は、「運動の主体」になる。運動の主体になれば、「するな」と言われてもトレーニングを繰り返す。あの部長の右手が、暇さえあれば、左側の親指を包んで握るのには理由がある。生涯読まなかった本まで買う。取締役の机の引き出しから「シングルへの道」が出てきたと驚くと、それがかえっておかしい。自らを「エリート」と称する韓国のスポーツ関係者たちは正反対だった。訓練は基本的に「国威を宣揚するために」、指導者つまり他人がさせることだった。このように後進国で「運動の客体」として育った彼らが大半の世代が、先進国で生まれた最近の子供たちを教える。そのため、「国際競争力を育てるためには、トレーニングの量を増やさなければならない。ところが、監督さえ訓練を強要できないのが現実だ」とため息をつく。団体球技の監督は、「日本の選手たちは、基本技とテクニックを身につけた後、成人舞台に上がってくる。我々は幼い頃から練習量が絶対的に不足しているため、競技力が落ちるしかない」と嘆いた。このような嘆きは、よく「運動部の子供たちは欠席させてください」へと続く。その一方で、勉強と運動を並行する日本の選手たちが、あれ程の基本技をどのように身につけたのかを覗く指導者はあまりいない。それは簡単だ。あのゴルフマニアの部長のように楽しさを感じたので、身につけるようになったのだ。そして、楽しさを維持し続けた選手だけが成人舞台まで上がったのだ。日本から出てきた児童生徒用教材を見れば、反復訓練を一度でも「少なく」できる方法を提示する研究結果がよく出てくる。それでも誰かは、何度も何度も繰り返す。運動する楽しさとは、もともとそういうものだ。五輪に出られるほど努力した選手に対し、「金メダルはいいから、楽しんでくればいい」と言うのは偽善だ。金メダルを獲得した選手が、4位の選手より五輪を楽しむことができない理由などどこにもない。ただ結果に関係なく、「オリンピックを楽しんだ」と言えるのは選手本人、つまり運動の主体だけだ。韓国も白髪のお年寄りたちがマイクを握って、「今回のオリンピックは、金メダル何個が目標だ」と騒いでいた時は、もう過ぎ去って久しいではないか。
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五輪メダルは一つひとつが大切だ。金メダルならなおさらそうだ。五輪の金メダルを取れる機会を拒む選手は、世界中どこにもいない。史上最高のテニス選手と言われるノバク・ジョコビッチ(37、セルビア)でさえ、「私にはまだ、五輪金メダルの夢が残っている」としてパリ五輪に出場した。ジョコビッチは、四大大会シングルス最多優勝記録(24回)の保持者だが、以前の4回の五輪では、金メダルを一つも獲得できなかった。
ただ、どのような過程を経て五輪の金メダルを目標にするようになったのかは別の問題だ。大人の週末ゴルファーの中で、「五輪の金メダルを取るためにゴルフをしている」と言う人は誰もいないだろう。両親と一緒にフィールドに出た10代のうち1人か2人はいるだろうか。にもかかわらず、全国に8100を超えるゴルフ練習場は盛況だ。どんな運動でも、いったん楽しくなったら、もっとよくなりたい(play better)と思って、もっと熱心に努力したい(works harder)という気持ちになるのが人間の本能だからだ。
楽しさに気づいた人は、「運動の主体」になる。運動の主体になれば、「するな」と言われてもトレーニングを繰り返す。あの部長の右手が、暇さえあれば、左側の親指を包んで握るのには理由がある。生涯読まなかった本まで買う。取締役の机の引き出しから「シングルへの道」が出てきたと驚くと、それがかえっておかしい。
自らを「エリート」と称する韓国のスポーツ関係者たちは正反対だった。訓練は基本的に「国威を宣揚するために」、指導者つまり他人がさせることだった。このように後進国で「運動の客体」として育った彼らが大半の世代が、先進国で生まれた最近の子供たちを教える。そのため、「国際競争力を育てるためには、トレーニングの量を増やさなければならない。ところが、監督さえ訓練を強要できないのが現実だ」とため息をつく。団体球技の監督は、「日本の選手たちは、基本技とテクニックを身につけた後、成人舞台に上がってくる。我々は幼い頃から練習量が絶対的に不足しているため、競技力が落ちるしかない」と嘆いた。このような嘆きは、よく「運動部の子供たちは欠席させてください」へと続く。
その一方で、勉強と運動を並行する日本の選手たちが、あれ程の基本技をどのように身につけたのかを覗く指導者はあまりいない。それは簡単だ。あのゴルフマニアの部長のように楽しさを感じたので、身につけるようになったのだ。そして、楽しさを維持し続けた選手だけが成人舞台まで上がったのだ。日本から出てきた児童生徒用教材を見れば、反復訓練を一度でも「少なく」できる方法を提示する研究結果がよく出てくる。それでも誰かは、何度も何度も繰り返す。運動する楽しさとは、もともとそういうものだ。
五輪に出られるほど努力した選手に対し、「金メダルはいいから、楽しんでくればいい」と言うのは偽善だ。金メダルを獲得した選手が、4位の選手より五輪を楽しむことができない理由などどこにもない。ただ結果に関係なく、「オリンピックを楽しんだ」と言えるのは選手本人、つまり運動の主体だけだ。韓国も白髪のお年寄りたちがマイクを握って、「今回のオリンピックは、金メダル何個が目標だ」と騒いでいた時は、もう過ぎ去って久しいではないか。
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