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韓国戦争の多富洞戦闘に参戦した警官、74年ぶりに家族の元へ

韓国戦争の多富洞戦闘に参戦した警官、74年ぶりに家族の元へ

Posted July. 31, 2024 09:03,   

Updated July. 31, 2024 09:03

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2000年4月、慶尚北道漆谷郡多富洞(キョンサンブクド・チルゴクサン・タブドン)の遊鶴山(ユハクサン)一帯で収拾された韓国戦争の死者の遺骨は、イム・ジンウォン巡査であることが確認されたと、国防部遺体発掘鑑識団が30日明らかにした。

全羅北道金堤(チョルラブクド・キムジェ)警察署所属の警察官だった故人は、1950年に韓国戦争が勃発すると、妻と幼い子供を置いて戦線に向かった。故人は霊光(ヨングァン)と木浦(モクポ)、伐橋(ボルギョ)、河東(ハドン)、泗川(サチョン)などで北朝鮮軍の南下を阻止する作戦を遂行した。その後、国軍第1師団を支援するために漆谷郡多富洞の遊鶴山戦闘に参戦し、1950年8月30日に戦死したと推定されると、軍は伝えた。

遊鶴山戦闘は、国軍1師団が1950年8月13~30日、遊鶴山一帯で北朝鮮軍2師団を撃退し、防御線を確保して大邱(テグ)防御に寄与した戦闘だ。

故人の娘であるイム・ジョンスンさん(77)は2008年、父親の遺骨を探すために遺伝子試料を軍に提出したが、当時の技術では家族関係を確認できなかった。その後、最新技術で再分析した結果、今月に親子関係が確認されたという。故人は1919年の3・1独立運動当時、民族代表48人の一人である林圭(イム・ギュ)先生の甥でもある。

軍は同日、京畿道東豆川市(キョンギド・トンドゥチョンシ)にある遺族を訪問し、故人の参戦過程を説明し、身元確認通知書などを伝える「護国の英雄帰還行事」を開催した。


尹相虎 ysh1005@donga.com