Go to contents

従軍画家の千鏡子がベトナム戦で描いた「花と兵士と砲声」を初公開

従軍画家の千鏡子がベトナム戦で描いた「花と兵士と砲声」を初公開

Posted August. 13, 2024 09:23,   

Updated August. 13, 2024 09:23

한국어

戦闘ヘリや戦車、銃声が行き交う戦場だが、鬱蒼としたヤシの木の森と花がキャンバスを埋め尽くす。ベトナム戦争の真っ最中だった1972年、政府は画家10人を選抜してベトナムに送り、戦場を記録するようにした。その中の1人であり、唯一の女性作家だった千鏡子(チョン・ギョンジャ、1924~2015・写真)が残した絵画「花と兵士と砲声」(1972年)だ。国防部が所蔵していたこの作品が、ソウル市立美術館西小門(ソソムン)本館の3階で8日開幕した展示「激変の時代、女性と暮らしと芸術」を通じて一般に初めて公開された。

●政府の依頼でベトナム戦争の記録画を描く


「花と兵士と砲声」は、幅が185センチ、高さが284センチで、千景子の作品の中で指折りの大作である。ユニークなのは、ややロマンチックに見える絵の内容だ。会場で一緒に見られる「ヘリ輸送作戦」「待ち伏せ作戦」等のスケッチは、比較的写実的に描写されているが、キャンバス絵画は風景の存在感がより大きい。ハン・ヒジン学芸研究士は、「作家は、戦争の現場より『花』という自分の嗜好とアイデンティティをより強く表わしたものと見られる」と説明した。

千鏡子がベトナム戦争の現場に行くことができたのは、文化公報部が1972年6月、韓国美術協会理事長の李馬銅(イ・マドン)を団長に、金基昶(キム・ギチャン)など10人に対し戦争記録画を依頼したためだった。画家たちは約20日間、ベトナムに滞在しながらスケッチを行い、帰国後、戦争を記録した作品を残した。千鏡子は「花と兵士と砲声」と「目的」の2点を描いて200万ウォンを受け取った。おかげで当時良くなかった経済事情が良くなり、絵に打ち込むことができたという。


この作品が展示された「激変の時代、女性と暮らしと芸術」展は、千鏡子の誕生100周年を記念して彼と同時代に生きた女性東洋画家23人の作品世界に共にスポットライトを当てる。特に、日本による植民地時代、韓国戦争などの作品と作家の人生に溶け込んでいる韓国近現代史を一緒にクローズアップする。千鏡子が1950年代に生地屋を見物する自分を描いた「生地屋への外出」も、この展示で初めて公開される。個人所蔵家が持っていた作品で、色々な生地を見物する作家の横顔が見え、横の黒い傘を差した人物は、一緒に外出した作家の母親だという。11月17日まで。

●中南米などの風景を描いた「紀行絵画」

ソウル市立美術館西小門本館の2階では、千鏡子コレクションの常設展「魂を響かせる風に向かって」が6日開幕した。ここでは1998年、千鏡子画伯がソウル市に寄贈した作品を2002年から披露してきた。「千景子の魂」「永遠のナルシスト、千景子」に続き、10年ぶりに改装した展示で、絵画やドローイングなど30点を披露する。

今回の展示は、千鏡子が世界各地を旅しながら残した「紀行絵画」を中心に展開される。彩色画と女人像で構成した「幻想と情恨の世界」、紀行絵画を盛り込んだ「夢と風の旅路」、海外文学と公演など文化芸術に対する関心が明らかになった「芸術とロマン」、作家が書き記したエッセイ集を整理した「自由な女」の4部門で構成されている。

中南米を旅しながら、インカ文明の発祥地であるクスコを訪問してラマを描いた「クスコ」(1979年)、1989年にカリブ海沿岸にスケッチ旅行に出た時に描いた「ジャマイカの意地悪女」(1989年)など異国の地を訪問した作品から、エミリー・ブロンテの小説背景である「嵐が丘」、「風と共に去りぬ」の著者マーガレット・ミッチェルの生家に直接行って描いた文学的作品も見ることができる。

金民 kimmin@donga.com