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白凡・金九と共にした中国の抗日同志たち

白凡・金九と共にした中国の抗日同志たち

Posted August. 17, 2024 08:55,   

Updated August. 17, 2024 08:55

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中国浙江省嘉興市にある白凡・金九(キム・グ)の避難所の2階には、秘密の空間が一つある。床に湖につながる非常脱出口が隠されている。脱出口の下には、いつでも湖に避難できるように木船1隻が停泊していた。日本の官憲を避けてここまで避難した白凡の苦しい人生を端的に示す象徴的な場所だ。白凡は、大韓民国臨時政府の要人たちとともに、光復(クァンボク=日本植民地からの解放)直前まで嘉興市を経て杭州や南京、重慶などに移り、至難な独立運動を続けた。

中国近現代史学者である著者は、南京などで白凡が多くの中国人の助けを受けて、抗日運動に乗り出した過程を取り扱っている。特に、蒋介石の国民党政府と手を組んで、共同抗日闘争を行った当時を具体的に描いた。1933年、白凡は、南京で蒋介石に会い、韓国人の軍官学校への入学を要請し、同意を取り付ける。その後、洛陽軍官学校で韓国人を訓練するクラスが開設された。

白凡は、国民党政府の財政支援を受けて1935年に韓国国民党を組織し、瀕死状態に陥っていた臨時政府を辛うじて率いることができた。1935年11月3日の臨時政府組織再編当時、国務委員7人が韓国国民党幹部で満たされるなど、この時期に白凡が臨時政府の実権を掌握することができた背景だ。国民党幹部だった褚輔成(1873~1948)と女子船頭の朱愛宝(チュ・アイバオ)など白凡の避難を助けながら固い縁を結んだ中国人の話も興味深く繰り広げられる。


金相雲 sukim@donga.com