Go to contents

富川の火災現場で明らかになった消防士たちの劣悪な現実

富川の火災現場で明らかになった消防士たちの劣悪な現実

Posted August. 27, 2024 09:08,   

Updated August. 27, 2024 09:08

한국어

「彼の妻は、いつも寝不足でうとうとしていた夫のつらさと、そして現場の2階の暗黒の中で息が切れるまで夫が一人で耐えなければならなかったその熱さを繰り返し思い起こし倒れて泣いた」(金薰の「消防士の死」より、ラーメンを作りながら=2015年)

6年前に小説家の金薫(キム・フン)氏のこの文章で、コラムを書いたことがある。1995年5月24日、全羅南道麗水市喬洞(チョルラナムド・ヨスシ・キョドン)の中央市場で16人を救助後、火災で死亡した麗水消防署所属の故ソ・ヒョンジン(当時29歳)消防士の話だ。将来の希望に、いつも「消防士」と書いたという金氏の小説には、そのためか消防士がよく登場する。疾走する消防車と炎の中に走っていく消防士たちの姿で、金氏は国家システムが正常に働いていることを感じると話した。

約15年前の新米記者時代、消防士に会う機会があった。一人の消防士は、山火事を鎮圧する途中、焼けた木の枝が後ろの首に落ちてやけどを負った。彼は公傷処理を受けることができず、自費で病院に通った。他の消防士は、未払い手当てをくれという訴訟に参加して、救急隊に左遷された。50歳を控えた消防士は、25人の記者の前で悲しそうに泣いた。

22日、富川(プチョン)ホテルの火災現場での消防対応をめぐり、叱責が続いている。古くてひっくり返ったエアマット、119通報の受付過程での対応遅れ、「エアマットを逆さに敷いた」という偽りのうわさまで。エアマットは空気注入ホースが下の方にあるため、逆に設置することはできない。誤って撮られた写真一枚で消防士たちが嘲弄された。

富川現場の消防士たちの証言によると、到着当時、すでにホテルは前が見分けがつかない黒い煙でいっぱいだった。路地は幅が狭く、駐車された車のため、屈折はしご車を固定するスペースが足りず、仕方なくエアマットを敷いた。耐用年数が11年経ったが、万が一の墜落者が地面に落ちるよりはましだと判断したのだろう。消防士が手信号を送る前に飛び降り、マットがひっくり返り、また飛び降りる状況は予測不可能だった。

捜査が始まり、何が問題だったのかが明らかになるだろう。消防の対応が俎上に上る可能性もある。ただ、この論争の結果が身上必罰と恥をかかせるものではないことを願う。次の災難現場でミスを繰り返さないためのものでなければならない。

消防士は依然として、劣悪な状況で勤務する。超過勤務手当てを受け取るためには、15年前のように自治体と戦わなければならない。消防士の治療費、介護費は2009年に定められた金額そのままだ。国立警察病院は1949年(1991年にソウル松坡に移転)、国軍首都病院は1951年(1999年に京畿道盆唐に移転)にできたが、国立消防病院はまだない。過去の政府でその都度失敗に終わったが、2017年に文在寅(ムン・ジェイン)政府の決断で建設が確定し、現在の工程率は約30%だ。人手不足も依然続いている。2022年末基準で、現場の消防人材の不足率は全国平均10%、全羅南道(チョルラナムド)や蔚山(ウルサン)などは20%を越える。

富川事件をきっかけに明らかになった消防の劣悪な現実が、改善されることを願う。消防士が古いエアマットを新しいものと交換することはできない。消防士が自ら人員を補充することはできない。これは消防の能力と権限外だ。予算を割り当てて可決させる政府と国会の責任だ。消防士たちにあまりにも多くの非難の矛先が向けられないことを願う。