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「仁川に来たら孫元一提督と一緒に写真を」 報勲部が孫元一造形物の除幕式

「仁川に来たら孫元一提督と一緒に写真を」 報勲部が孫元一造形物の除幕式

Posted September. 11, 2024 09:12,   

Updated September. 11, 2024 09:12

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国家報勲部(報勲部)が10日、仁川市桂陽区(インチョンシ・ケヤンク)のアラ自転車道で孫元一(ソン・ウォンイル)海軍提督(1909~80)の造形物(写真)の除幕式を行った。今年中に仁川から釜山(プサン)まで主要都市10ヵ所に韓国戦争英雄の造形物を設置する「ヒーローロード」事業の一環だ。

「ヒーローロード」は、「ヒーロー(英雄)」と「ロード(道)」を合成した言葉で、韓国戦争で大韓民国を守った英雄たちの献身と犠牲を忘れずに記憶するという意味が込められている。

造形物は横3.4メートル、縦2メートルの大きさで、孫提督の功績の紹介と共に写真を撮ることができるフォトゾーンで構成されている。除幕式には姜貞愛(カン・ジョンエ)報勲部長官、孫提督の遺族、仁川市の黄孝鎮(ファン・ヒョジン)副市長、梁龍模(ヤン・ヨンモ)海軍参謀総長など約60人が出席した。孫提督の息子の孫明源(ソン・ミョンウォン)民族和解協力汎国民協議会代表常任議長は、「仁川地域に父を称える造形物が設置され、感慨深く誇りに思う」と述べた。

「大韓民国海軍の父」と呼ばれる孫提督は、日本植民地期に臨時議政院議長を務めた孫貞道(ソン・ジョンド)先生の長男で、1945年に海軍の母体である解放兵団の創設を主導した。48年、政府樹立後に創設された海軍の初代参謀総長を務め、大韓民国初の戦闘艦「白頭山艦」を購入するなど海軍の基礎を築いた。韓国戦争当時、大韓海峡海戦などを勝利に導き、仁川上陸作戦で国軍最高指揮官として参戦し、「国軍と国連軍は首都ソウルを奪還した」という宣言文を残した。このような功績で2度にわたり太極武功勲章を授与された。

これに先立ち、報恩部は7月、慶尚北道聞慶(キョンサンプクト・ムンギョン)に韓国戦争当時、梨花嶺(イファリョン)・聞慶戦闘の英雄である朴魯珪(パク・ノギュ)、金容培(キム・ヨンベ)将軍の造形物を設置した。孫提督の造形物は、「ヒーローロード」事業の2番目の設置だ。

報恩部の関係者は、「年内に残りの8ヵ所にも韓国戦争英雄の功績を伝える造形物を設置し、『日常の中の報恩文化』が定着するようにする」と話した。

このような中、釜山大学に国立大学としては初めて「6・25参戦護国英雄名碑」の建立が推進される。姜氏と崔在元(チェ・ジェウォン)釜山大学総長は10日、関連業務協約を締結した。大学に「6・25参戦護国英雄名碑」が建立されるのは、6月に報勲部と協約を締結した延世(ヨンセ)大学に続いて2番目であり、国立大学では初めてだ。

協約により、報勲部と釜山大学は釜山大学出身の参戦有功者の発掘に取り組むとともに、名碑の建立に本格的に着手することになる。46年に設立された釜山大学は、韓国戦争時に校舎を疎開民に提供し、休戦協定直後には、リチャード・ウィットコム国連軍釜山米第2軍司令官(当時)の努力で50万坪のキャンパス敷地を確保するなど、韓国戦争と特別な縁があると、報勲部は伝えた。

報勲部は、延世大学と釜山大学をはじめ、約40の大学を対象に名碑建立事業支援に取り組む計画だ。姜氏は、「名碑の建立が他の大学に広がり、未来世代が国家に献身した人々を日常生活で記憶し、敬意を表するきっかけになることを願う」と述べた。


尹相虎 ysh1005@donga.com