「マウンドで1打者でも相手にしてファンに挨拶することができればと思って、痛み止めの注射も打ちながら準備はしている」
チョン・ウラム(39・ハンファ)は自身の引退式を5日後に控えた24日、「今季に選手としてはファンに挨拶もできなかったが、引退することになった。登板機会があるかもしれないので、今もボールは投げている」と話した。韓国野球委員会(KBO)は、2021年から引退式を行う選手に限って、試合エントリーの定員超過登録を認めている。
韓国プロ野球を代表する左腕中継ぎのチョン・ウラムがハンファのシーズン最終戦が行われる29日、本拠の大田(テジョン)球場で引退式を行う。チョン・ウラムは韓国プロ野球史上最多登板投手だ。慶南(キョンナム)商業高校(現在の釜慶高)を卒業し、19歳だった2004年、SK(現SSG)でプロデビューして以来、昨シーズンまで計1004試合に登板した。日本、台湾などアジアに範囲を広げても単一リーグ最多登板だ。軍服務中だった2013年と2014年を除いて、計18シーズンを1軍リーグでプレーし、50試合以上出場したシーズンも15回ある。
しかしチョン・ウラムは今年、1試合にも登板できなかった。チョン・ウラムは52試合に出場した昨シーズン終了後、球団と相談して「プレイングコーチ(選手兼コーチ)」を引き受けた。今季は1軍試合の登板なしに残留軍投手コーチとして若手の成長を助ける役割をしてきた。チョン・ウラムは「少し休んだので『体調が良くなったのか』と自分なりにいろいろとチェックしたが、(登板が)容易ではないという判断をした」として残念がった。その上で「夏ごろからは心の準備をして『ただのコーチ』として選手たちに近づこうとした」と話した。
チョン・ウラムはホールド王を2度(2008、2011年)獲得した。2016シーズンを控えて自由契約選手(FA)資格でSKからハンファに移籍する時は、中継ぎ投手としては歴代最高額の年俸(4年84億ウォン)を記録した。2018年にはセーブ王(35セーブ)になり、ハンファをポストシーズンに導いた。ハンファの最後のポストシーズンとなっている。このようなタイトルにもチョン・ウラムは、「自分は大した選手ではない。長い間着実にマウンドに上がってきたので認めてくれているようだ」とし、「遠くを見ずに一日一日を大切にした」と話した。
チョン・ウラムは1004試合で通算997回3分の1を投げ、64勝47敗197セーブ145ホールド937奪三振、防御率3.18の成績を記録した。1000回200セーブ1000奪三振に少しずつ足りない。チョン・ウラムは、「チームがずっと立て直し中なので、あまり欲を出さなかったところもある。もう少しもがいていたら達成できたのではないかと思うが、それでも得たものの方がはるかに多いので残念な気持ちよりは幸福感の方が大きい」と話した。韓国プロ野球で通算100セーブ、100ホールドを達成した選手は、チョン・ウラムとチョン・デヒョン三星コーチ(106セーブ、121ホールド)の2人だけだ。
チョン・ウラムは、これまで野球をしながら最も悲しかった時として、新型コロナウイルス感染拡大の時期を挙げ、こう話した。「当時、観客席ががらんとした競技場で野球をした。ファンがいないから、こんなに力が出ないんだと感じた。野球場でファンの歓声を聞いた時、一番素敵な姿が出た。これからはその歓声を聞けないのが一番残念ではないかと思う」。