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賈樟柯監督「私の映画人生は釜山から始まる」、マズィ「再び訪れた釜山はいつもいい思い出」

賈樟柯監督「私の映画人生は釜山から始まる」、マズィ「再び訪れた釜山はいつもいい思い出」

Posted October. 07, 2024 09:37,   

Updated October. 07, 2024 09:37

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「私の映画人生は釜山(プサン)で始まったと言っても過言ではありません」

中国の賈樟柯監督(54)は5日、釜山海雲台区(ヘウンデグ)の新世界(シンセゲ)デパートセンタムシティ店で開かれた記者懇談会でこのように述べた。釜山国際映画祭(BIFF)が1998年当時、新人だった賈氏に「ニューカレンツ賞」(新人賞)を授与し、注目したことに対し感謝の意を表した。賈氏は、「当時、同年代の監督たちと映画に関して話し、友情を築いた記憶が常に残っていた。いつも釜山が懐かしかった」と話した。

賈氏は、急激に変化する中国社会の中の人民の姿をリアルに捉えてきた中国の巨匠だ。「スチールライフ」(2006年)でイタリア・ヴェネツィア国際映画祭の金獅子賞、「罪の手ざわり」(2013年)でカンヌ国際映画祭の脚本賞を受賞し、ヨーロッパ映画界で認められた。

賈氏は今年のBIFFでは新作「風流一代」を公開した。自分で演出した昔の映画である「任逍遙」(2002年)で恋人として登場した男女が歳月が流れて再会し、別れる過程を盛り込んだ。恋人の過去と現在を交差編集し、中国が変化した20年余りを圧縮的に盛り込んだ。

賈氏は、「新型コロナが拡大する様子を見て、積み上げておいた昔のフィルムを取り出してみなければならないと決心した」とし、「パンデミックを体験しながら、一つの時代が終わって新しい時代が登場した。人工知能(AI)などの科学技術が押し寄せてきて、ライフスタイルが変わっている」と話した。賈氏はまた、「世界貿易機関(WTO)への加盟と北京五輪の誘致に成功した2000年代の中国社会は、浮かれて情熱に満ちていた」とし、「しかし、その後、守らなければならない規則が増え、人々の口数が減った変化像を新作に盛り込みたかった」と付け加えた。


フランスのパトリシア・マズィ監督(64)は同日、記者懇談会で、「釜山を訪れたのは、2022年のBIFF以来2年ぶりのことだ。いつも韓国を訪れた時は良い思い出と一緒だった」と愛情を示した。マズィは「王の娘」(2000年)でカンヌ国際映画祭、「バス・ノルマンディー」(2004年)でベネチア国際映画祭に招待され、芸術映画界で名声を築いた。

マズィが今年BIFFで公開した「ボルドーに収監された女性」は、2人の女性の話だ。彼らは生きてきた道が全く違うが、監獄に閉じ込められた夫たちの世話をしながらお互いを理解し慰める。悲しい状況を愉快に解きほぐす視線が印象的だ。マズィは、「女性たちは、自分は監獄に閉じ込められなかったが、夫たちのためにあたかも閉じ込められていない収監生活を送っているように見える」とし、「悲しい物語を、軽い雰囲気で伝えたかった」と話した。

イ・ホジェ記者 hoho@donga.com