「さようならと言ったことがある人/すべてを捨てたことがある人/慰めを受けられなかった人/あなたはそんな人/しかし、生きなければならない時間、生きなければならない時間」
2007年、韓江(ハン・ガン)氏が自ら作詞作曲し、歌まで歌った「さよならと言ったとしても」の一部だ。ゆったりと歌い上げる韓氏の歌声が印象的だ。韓氏がその年に出版した散文集『静かに歌う歌』(ビチェ・写真)の付録のCDアルバムに収録された。韓氏は、頭に浮かんだメロディーを録音し、専門家の助けを借りて楽譜に移すという方法で10曲作った。ジャンルは、チェロやピアノなどの伴奏が付いたポップバラード。韓氏は18年の朗読会で、「2つの新曲があります。2枚目のアルバムが本当に出せるかどうかは言えない」とファンに冗談を言ったりもした。
詩に曲がつくと歌になるように、昔から音楽と文学は切っても切れない関係だ。朝鮮時代の詩書画が士大夫(サデブ)の基本徳目であり、16年に米国の歌手ボブ・ディランがノーベル文学賞を受賞した理由だ。韓氏が歌だけでなく、ピアノ演奏が得意なのも同様の脈絡だ。幼い頃、紙の鍵盤を叩きながらピアノを習ったという韓氏は、最近も自宅でピアノを弾くことが多いという。ポーランドのワルシャワに一時滞在した際、宿舎の2階にピアノを置いたほどだ。
韓氏は特に執筆の際、音楽から多くのインスピレーションを受けるという。韓氏は21年、文学トンネ出版社のユーチューブチャンネルに出演し、「音楽が持つ情緒があるが、その情緒が『そう、私はこれを書きたかったんだ』とふと気づかせてくれます」と話した。そして、『別れを告げない』の執筆当時に聴いた歌を紹介した。その中の1曲が楽童ミュージシャン(AKMU)の「どうして別れまで愛せるの、あなたを愛しているの」。韓氏は「草稿を書き終えてタクシーに乗った時、この歌が流れていた」とし、「知っている歌、有名な歌だと思って聴いていたのですが、最後の部分の歌詞が全く違う意味に感じられ、思わず涙が出ました」と話した。韓氏が言及した歌詞は、「私があなたを後にして、私たちの海のように深い愛が枯れるまで待つのが別れなのに」。
『別れを告げない』は、済州島(チェジュド)4・3事件の悲劇を3人の女性の視線で描いた作品。韓氏は小説の舞台となる済州を思い浮かべるために、趙東益(チョ・ドンイク)の「lullaby」を聴いたという。韓氏は、「済州の風が吹いていればと思って休みの日にこのアルバムを聴いていると、済州に行ったような気分になった」と話した。
金光石(キム・グァンソク)の「My Song」も韓氏の心に響いた歌だ。韓氏は、「特に一生懸命書いた時期に聴いた。誰にも会わず、話もせず、聞かないので『韓国語を忘れるかもしれない』と思っていた時期だった」とし、「特に好きな節は『最後の一滴の水がある限り、私は飲んで歌おう』と『輝かしいその光に目がくらむことはない』だ」と付け加えた。
金相雲 sukim@donga.com