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すべてを絞り出したナダル、汗一滴も残さずに去る

すべてを絞り出したナダル、汗一滴も残さずに去る

Posted October. 17, 2024 08:57,   

Updated October. 17, 2024 08:57

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「80歳になって(故郷のスペイン)マヨルカの自宅のソファにふんぞり返っている時もラファエルにはいかなる悔いもないだろう」

ラファエル・ナダルがプロテニスキャリアを終えると発表した後、彼をテニスの道に導いた叔父トニー・ナダル氏は13日、スペイン紙エル・パイスに寄稿した「ラファエル、君を尊敬する」というコラムで、このように書いた。トニー氏は、ナダルが3歳の時からテニスを教えて、2017年2月までコーチとして一緒にいた。

トニー氏はコラムの中で甥との約束を打ち明けた。かなり有名だった元テニス選手が、トニー氏に「もっと優勝できなかったからではなく、自分の忍耐力が足りなかったからキャリアに満足できない」と話した。トニー氏は甥のナダルにその話を伝えながら「君はああいう失敗を繰り返さないでほしい」と言った。するとナダルはこう答えたという。

「心配しないでください。私が去る時はすべてを捧げて穏やかな心になっているでしょう」

ナダルは10日、ソーシャルメディア(SNS)を通じて引退発表をしながら、これに似たような話を書いた。「あらゆる面で最善を尽くしたので、内面に完璧な平安な気持ちで旅立つ」と。

米大リーグの20世紀初の黒人選手だったジャッキー・ロビンソン(1919~1972)は「アスリートは二度死ぬ」と話した。選手が最後にグラウンドを離れるのが一生の締め切りに準ずるという比喩だ。

1986年生まれのナダルは19歳の時(2005年)、ミュラー・ワイス症候群の診断を受けた。足の骨組織に変形を起こすこの希少疾患で、ナダルは慢性的な痛みを抱えて生きてきた。キャリアを通して10回に9回は足の痛みのために練習を中断したりもした。一般ツアー(3セット制)と違って、5セットまで行われる四大大会はいつも痛み止めと一緒だった。当時、歴代最多記録だった個人通算22回目で最後の四大大会優勝を果たした2022年全仏オープンの時も、右足の感覚を麻痺させる麻酔注射を受けてプレーした。

この2年間は腹筋、臀筋の負傷も続き、いつ引退してもおかしくない体だった。昨年の全仏オープン以来、4つの四大大会に連続出場できなかったナダルは、相次ぐ「引退説」に悩まされた。当時、公式席上に立つたびにナダルは「マイクを握って引退することはできない。コートで1試合でもプレーして引退する」と話した。ナダルがついに今年全仏オープンに復帰した時も、皆が今大会をナダルの「ラストダンス」だと考えた。しかし、ナダルは今度も「来年必ず戻ってくる」と言い、主催側が用意した引退行事も断った。

ナダルはいつも諦めを知らなかった。負傷で相手選手まで心配するほど苦しみながらも、最後の力まで振り絞って逆転勝ちを収めるのは、ナダル競技の古いレパートリーだった。引退もそのように延期した。そのナダルが、これ以上は駄目だという。もう本当に絞り出す汗一滴も残っていないという意味だ。

20年近く苦痛と不確実性が続いた選手の人生だった。しかし、すべてを注ぎ込んだため、ナダルは平安に達したまま、自分の「最初の死」を迎えた。ナダルが最後まで絞り出した汗は、長い間多くの人が懐かしむだろう。