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聖水大橋崩壊30年、韓国は安全になったのか

聖水大橋崩壊30年、韓国は安全になったのか

Posted October. 22, 2024 08:40,   

Updated October. 22, 2024 08:40

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21日で聖水(ソンス)大橋の崩壊事故から30年が経った。1994年同日、聖水大橋の北端が崩れ、橋を渡っていた市内バスと車両が墜落し、登校途中の舞鶴(ムハク)女子高校の生徒8人をはじめ、32人が命を失った。完成からわずか15年しか経っていない橋が一瞬にして崩れ落ち、衝撃を与えた。

聖水大橋が崩壊した技術的原因は、過度な荷重に耐えていた橋梁に疲労がたまり、亀裂が生じたためだ。しかし、その亀裂は、工事段階ごとに不良が累積しなければ発生しないものだった。聖水大橋の設計・監理・施工・維持の全過程で基本を守らなかった安全不感症、工事期間とコストを減らそうとする不正腐敗の慣行が蔓延した。建設会社は、設計図面と違って手抜き工事し、監理担当公務員はこれに目をつぶった。ソウル市は、危険が感知されたにもかかわらず、メンテナンスを疎かにして、崩壊を予防できなかった。韓国社会の不条理がもたらした惨事だった。

聖水大橋の崩壊から30年が経ったが、韓国は「事故共和国」という汚名を晴らせずにいる。最近でも、忘れかけていると大事故が起きている。2022年10月に159人が圧死した梨泰院(イテウォン)惨事が発生し、6月には京畿道華城市(キョンギド・ファソンシ)のアリセル工場で火災が発生し、23人が亡くなった。建設現場の後進的な慣行も変わっていない。2022年1月、光州(クァンジュ)では建設中の高層マンションが崩壊し、労働者6人が死亡し、2023年4月には仁川黔丹(インチョン・コムダン)の新都市マンションの地下駐車場が崩れた。過度に水を混ぜたコンクリートを使ったり鉄筋の数を減らしたりするなど、不良設計・監理・施工がまだ繰り返されているためだ。

韓国社会は、聖水大橋の崩壊とその後の社会的災害を繰り返し経験したにもかかわらず、責任者を探して公憤を吐き出すだけで、徹底した反省と再発防止の努力は足りなかった。むしろ頻繁な事故で警戒心が鈍くなったのではないかと心配になるほど、「まさか」と安全を軽視する文化が変わらない。同日開かれた聖水大橋崩壊犠牲者合同慰霊祭で、遺族代表のキム・ハクユン氏は、「(韓国社会が)もう少し基本に忠実だったなら、夢の多い生徒や両親、他の遺族の胸に釘を刺すことはなかっただろう」と話した。安全は決して当然ではない。「基本を守らなければならない」という原則を忘却する瞬間、そのような事故はいつでも起きうる。