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日本人看守に書いてあげた安重根義士の「独立」遺墨、15年ぶりに韓国で展示

日本人看守に書いてあげた安重根義士の「独立」遺墨、15年ぶりに韓国で展示

Posted October. 24, 2024 09:21,   

Updated October. 24, 2024 09:21

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安重根(アン・ジュングン)義士(1879~1910)は、1910年2月の処刑直前、旅順監獄で「独立」と書いた親筆遺墨(生前に残した字・写真)を残した。文字の左側には、薬指が切断された安義士の手のひらの印が鮮明だ。旅順監獄の看守だった設楽正雄が安義士から受けたが、現在は日本の龍谷大学でこれを所蔵している。

この遺墨をはじめ、龍谷大学にある安義士の遺墨4点が、15年ぶりに再び韓国を訪れる。大韓民国歴史博物館は、24日から安義士のハルビン義挙115周年を記念する特別展「安重根書」を開催する。今回の展示には、日本から来た遺墨と韓国国内にある遺墨を合わせて、安義士が殉国直前に書いた遺墨18点(宝物13点)が観覧客を迎える。

遺墨のうち、白眉ともいえる「独立遺墨」は、展示室の中心空間に配置され、注目を集める。簡潔に書かれた2文字の筆跡から力が感じられる。「国家安危労心焦思(国家の安危を心配して焦らす)」と書いた遺墨は、安義士の国家観と愛国心を示している。「黄金百萬兩 不如一教子(黄金が百万両であっても、子に一つを教えるに及ばない)」 遺墨は、教育を重視した安義士の哲学が盛り込まれている。安義士は1906年、平安南道鎭南浦(ピョンアンナムド・ジンナムポ)にサムフン学校を設立するなど、人材育成に力を注いだ。

「爲国獻身軍人本分(国のために身を捧げることは、軍人の本分だ)」は、大韓帝国の義兵として旗揚げを決行した安義士の心構えを示している。「志士人殺身成仁(志士と善良な人は、自分を犠牲にして仁を成す)」も、やはり自分を犠牲にして大きな志を成し遂げるという安義士の決然とした意志が込められている。

文字の他にも、安義士の人生を示す資料50点余りを一緒に展示し、国権回復の意志を実践に移すまでの過程を見ることができる。大韓民国歴史博物館の韓秀(ハン・ス)館長は、「今回の展示が、愛国啓蒙運動からハルビン義挙まで安義士の歩みを振り返る機になることを願う」と述べた。来年3月31日まで。無料。


サ・ジウォン記者 4g1@donga.com