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「鴨緑江は流れる」の李儀景志士の遺骨が105年ぶりに祖国へ

「鴨緑江は流れる」の李儀景志士の遺骨が105年ぶりに祖国へ

Posted November. 13, 2024 09:11,   

Updated November. 13, 2024 09:11

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小説「鴨緑江(アプロクカン)は流れる」の著者で、「李弥勒」というペンネームで知られる独立有功者の李儀景(イ・ウィギョン)志士(1899~1950、写真)の遺骨が、105年ぶりに祖国に帰ってくる。

12日、国家報勲部によると、報勲政策室長を団長とする政府代表団は14~15日(現地時間)、ドイツ・バイエルン州のグレーフェルフィングにある李志士の墓で追悼式と墓堀、遺骨の見送り式を行う。続いて16日、仁川(インチョン)国際空港に李志士の遺体が奉還される。

奉還式は、李志士が祖国を懐かしみながら生前に残した遺筆である「一生一心」をテーマに行われる。李志士が日本帝国の監視を避けてドイツで生活しながら、祖国に対する心を込めて歌った歌「雪」が追悼公演で響き渡る予定だ。

黄海道海州(ファンヘド・ヘジュ)出身の李志士は、京城(キョンソン)医学専門学校に在学中だった1919年、3・1独立運動に参加し、同年8月29日の万歳デモの際に使われた「庚戌国恥警告文」などの宣伝物の印刷を受け持ち、日本に手配されると、中国上海に亡命して臨時政府の仕事を手伝った。その後、1920年にフランスを経てドイツに行き、ハイデルベルク大学で医学、ミュンヘン大学で哲学および動物学を専攻した。

李志士は1927年、ミュンヘン大学在学中にベルギーで開かれた「世界被圧迫民族決議大会」に韓国代表団として参加し、「韓国の問題」という小冊子の草案を作成し、決議文をドイツ語などに翻訳して世界に独立の意志を知らせた。

1928年に博士号を取得後、雑誌への投稿や翻訳などで生計を立て、1946年に幼年時代からドイツ留学に至る体験を盛り込んだ自伝的ドイツ語小説「鴨緑江は流れる」を発表した。この小説は、現地の文壇で大きな注目を集め、ドイツの教科書にも載せられた。李志士は、1948年からミュンヘン大学で韓国学と東洋哲学を教えていたが、1950年3月に胃癌で死亡し、グレーフェルフィングの墓地に埋葬された。


尹相虎 ysh1005@donga.com