「強行と拒否権」「弾劾と棄却」、消えた政治
Posted December. 02, 2024 08:54,
Updated December. 02, 2024 08:54
「強行と拒否権」「弾劾と棄却」、消えた政治.
December. 02, 2024 08:54.
.
第22代国会に入っても、「政治失踪」事態が悪化の一途を辿っている。国会の多数派である最大野党「共に民主党」の様々な法案の単独採決と尹錫悦(ユン・ソクヨル)大統領の拒否権行使が繰り返される消耗戦が延々と繰り返されており、監査院長や検事など公職者の弾劾をめぐる攻防もますます激化している。尹大統領は、早ければ今週中に、民主党主導で本会議で可決された糧穀管理法など法律案5件に対して拒否権を行使するとみられる。実際に行使されれば、尹大統領が在任2年7ヵ月間、国会に送り返した法律案は30件になる。国会可決と拒否権行使が3度も繰り返された大統領夫人、金建希(キム・ゴンヒ)氏に対する特別検察官法(特検法)が含まれた数字だ。民主党は、大統領官邸の漢南洞(ハンナムドン)移転に対するずさんな監査などを理由に、崔載海(チェ・ジェヘ)監査院長に対する弾劾案を2日に発議するという。金建希氏に対する捜査が不十分だとして李昌洙(イ・チャンス)ソウル中央地検長ら検察幹部3人に対しても弾劾案を発議する方針を固めた。そうなれば、民主党が弾劾対象にした尹政府の公職者は18人に増える。李祥敏(イ・サンミン)行政安全部長官ら5人は国会採決で憲法裁判所の弾劾審査が始まったが、残りの発議案は廃棄された。憲法裁で3人は棄却判定を受け、2人は審理中だ。以前は見たことのない現象だ。制限的ではあるが政治が作動した過去には、与野党は可能な限り合意で法案を可決させた。そのように可決された法案が、大統領に拒否されるのは極めて異例のことだった。1987年体制が始まって以来、大統領の5年任期中の拒否権行使は一桁の数字にとどまった。国会の合意精神を尊重した結果だった。金大中(キム・デジュン)政権下では5年間「ねじれ国会」だったが、拒否権行使は1度もなかった。拒否権行使が最も多かった李承晩(イ・スンマン)大統領(45件)も、在任12年間のことだ。公職者の弾劾推進も、今ほど多かったことはない。大統領別にみてもいなかったか1~4人にとどまり、それでもその大半が採決なしに廃棄された。少数派の野党による弾劾案発議は政治的な意思表示と見なされ、後は弾劾の代わりに「長官の解任建議案」の処理にレベルを下げた。大統領は解任する義務はなかったが、建議案が処理されれば、概して長官を交替した。このため、弾劾案が実際に国会で可決したのは、盧武鉉(ノ・ムヒョン)、朴槿恵(パク・グンへ)大統領を対象にしたものを含め、1987年以降、尹政府の発足前まで3件にとどまった。与野党の妥協や辛うじて折衷した結果物に対する大統領の尊重という文化は、もはや昔話になってしまったようだ。与野党と大統領室は、「憲法上、法律上の権限行使」と言う。しかし、牽制と均衡という三権分立の趣旨は消え、各自の立法権と拒否権だけを掲げる間、妥協の政治は跡形もない。結局、行き詰った政局を解く糸口は大統領が出さなければならないが、特検の解決策から遠いように見えるのだからもどかしい。
한국어
第22代国会に入っても、「政治失踪」事態が悪化の一途を辿っている。国会の多数派である最大野党「共に民主党」の様々な法案の単独採決と尹錫悦(ユン・ソクヨル)大統領の拒否権行使が繰り返される消耗戦が延々と繰り返されており、監査院長や検事など公職者の弾劾をめぐる攻防もますます激化している。
尹大統領は、早ければ今週中に、民主党主導で本会議で可決された糧穀管理法など法律案5件に対して拒否権を行使するとみられる。実際に行使されれば、尹大統領が在任2年7ヵ月間、国会に送り返した法律案は30件になる。国会可決と拒否権行使が3度も繰り返された大統領夫人、金建希(キム・ゴンヒ)氏に対する特別検察官法(特検法)が含まれた数字だ。
民主党は、大統領官邸の漢南洞(ハンナムドン)移転に対するずさんな監査などを理由に、崔載海(チェ・ジェヘ)監査院長に対する弾劾案を2日に発議するという。金建希氏に対する捜査が不十分だとして李昌洙(イ・チャンス)ソウル中央地検長ら検察幹部3人に対しても弾劾案を発議する方針を固めた。そうなれば、民主党が弾劾対象にした尹政府の公職者は18人に増える。李祥敏(イ・サンミン)行政安全部長官ら5人は国会採決で憲法裁判所の弾劾審査が始まったが、残りの発議案は廃棄された。憲法裁で3人は棄却判定を受け、2人は審理中だ。
以前は見たことのない現象だ。制限的ではあるが政治が作動した過去には、与野党は可能な限り合意で法案を可決させた。そのように可決された法案が、大統領に拒否されるのは極めて異例のことだった。1987年体制が始まって以来、大統領の5年任期中の拒否権行使は一桁の数字にとどまった。国会の合意精神を尊重した結果だった。金大中(キム・デジュン)政権下では5年間「ねじれ国会」だったが、拒否権行使は1度もなかった。拒否権行使が最も多かった李承晩(イ・スンマン)大統領(45件)も、在任12年間のことだ。
公職者の弾劾推進も、今ほど多かったことはない。大統領別にみてもいなかったか1~4人にとどまり、それでもその大半が採決なしに廃棄された。少数派の野党による弾劾案発議は政治的な意思表示と見なされ、後は弾劾の代わりに「長官の解任建議案」の処理にレベルを下げた。大統領は解任する義務はなかったが、建議案が処理されれば、概して長官を交替した。このため、弾劾案が実際に国会で可決したのは、盧武鉉(ノ・ムヒョン)、朴槿恵(パク・グンへ)大統領を対象にしたものを含め、1987年以降、尹政府の発足前まで3件にとどまった。
与野党の妥協や辛うじて折衷した結果物に対する大統領の尊重という文化は、もはや昔話になってしまったようだ。与野党と大統領室は、「憲法上、法律上の権限行使」と言う。しかし、牽制と均衡という三権分立の趣旨は消え、各自の立法権と拒否権だけを掲げる間、妥協の政治は跡形もない。結局、行き詰った政局を解く糸口は大統領が出さなければならないが、特検の解決策から遠いように見えるのだからもどかしい。
アクセスランキング