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包装紙をはがした素顔

Posted December. 04, 2024 08:51,   

Updated December. 04, 2024 08:51

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外見と本当の中身はどれほど違うのだろうか。金大又(キム・デウ)監督の映画「ヒドゥン・ フェイス」は、人間の外と内を反転に反転が続くスリラーで描いた作品だ。オーケストラを率いる指揮者ソンジン(ソン・スンホン)は、自分の人生も指揮しながら生きているように見えるが、実は彼が婚約したスヨン(チョ・ヨジョン)とスヨンの母親(パク・ジヨン)が作った人生を生きている。スヨンの母親はオーケストラを所有する団長で、食堂の息子で自力で身を立てたソンジンが庭の広い家に住み、指揮者としても自立できるようにしてくれる人物だ。ソンジンはそれに対する劣等感のようなものがあるが、表に出さない。しかし、ある日スヨンが一通の手紙を残して姿を消したことで、彼の隠された素顔が明らかになる。

外と内が違うのはソンジンだけではない。消えたスヨンも、彼女がオーケストラで担当していたチェリストの代わりに現れたミジュ(パク・ジヒョン)もそれぞれ隠された内面がある。映画は、この外と内が異なる人物の表面を時間を過去に戻し、一つ一つはがしてその実体を見せる。家に隠された密室が登場し、その密室の中で窓から家の中で繰り広げられる熱い逸脱がエロティックに繰り広げられる映画だが、この映画の中の空間構造は、まさに人間の外見とは異なる内面を一枚一枚覗き込むための設定だ。過激な情事シーンが描かれたR19指定だが、エロティシズムを超えた社会的な比喩と意味が込められている。

「何事も包み隠すもの。見ることが本質だから、人も包み隠すのがうまくないと」。スヨンに母親が投げかけるこの言葉は、この映画がエロティックな状況を通じてはぎ取ろうとしたものが何であるかをよく示している。包み隠された人生がそれだ。誰かに見せることが本質のように考えられている社会ではないか。包装を剥がして本質を見る目が必要な理由だ。