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戒厳当日に戦車部隊長も待機、明らかになる「親衛クーデター」

戒厳当日に戦車部隊長も待機、明らかになる「親衛クーデター」

Posted December. 20, 2024 08:36,   

Updated December. 20, 2024 08:36

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12・3非常戒厳宣言の4時間前から、京畿道城南市板橋(キョンギド・ソンナムシ・パンギョ)の国軍情報司令部100旅団には特殊任務要員30人余りと共に、陸軍2機甲旅団のク・サムフェ旅団長も待機していたことが明らかになった。第2機甲旅団とは、装甲車と戦車などを運用するソウルから最も近い機甲部隊だ。ク旅団長は、金龍顯(キム・ヨンヒョン)前国防部長官と共に、数ヵ月前から今回の戒厳を設計した疑惑がもたれていいるノ・サンウォン元情報司令官から呼び出されて、板橋情報司に行ったと知られている。

戒厳宣言当日、機甲旅団長が突然情報司に呼ばれて待機していた事実は、様々な疑惑を生む。戒厳反対のデモが大規模になったり、政治家逮捕などの作戦に困難が生じた場合、戦車など機甲戦力まで投入しようとしたという疑惑を買うに十分だ。第2機甲旅団は、1979年の12・12クーデター当時、戦車35台を動員して中央庁と国防部、陸軍本部を掌握した部隊だ。2017年に国軍機務司令部の「戒厳検討文書」にも、2機甲旅団は戒厳軍に編成されることになっている。

これは、戒厳宣言が野党に対する警告的措置だったという尹錫悦(ユン・ソクヨル)大統領の主張が事実と異なることを示すもう一つの証に違いない。戒厳が長期間にわたって準備されたことは、検・警捜査で明らかになっている。尹大統領はすでに昨年末に「非常措置」について言及し、戒厳の意志を示したという証言が確保された。戒厳2日前に、元・現職情報司令官と幹部らが事前に謀議した情況も明らかになっている。

さらに戒厳当時、兵力1500人余りが投入され、軍車両100台余りとヘリコプター12台が動員されたことが確認された。戒厳軍は狙撃用銃と機関銃などを携帯し、実弾も個人支給はなかったものの、1万発以上が持ち出された。もし国会で流血衝突が起きたとすれば、現場の戒厳軍にどんな命令が下されたのか、そこに戦車や装甲車まで動員されたとすればどうなっていたのか、想像するだけでもぞっとする。

12・3戒厳事態は、政権者がより大きな権力のために違法手段で行う典型的な親衛クーデター(self-coup)だった。尹大統領は、「2時間の内乱がどこにあるのか」と主張する。しかし、それは国民と国会の機敏な阻止、戒厳軍の消極的なサボタージュで失敗しただけだ。最初から失敗を前提にした戒厳だったというような奇怪な言い訳がいつまで続くのか、見守らなければならない。