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尹大統領は権威主義独裁への回帰を夢見たのか

尹大統領は権威主義独裁への回帰を夢見たのか

Posted December. 26, 2024 08:28,   

Updated December. 26, 2024 08:28

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尹錫悦(ユン・ソクヨル)大統領のとんでもない12・3戒厳宣布と当時の国防長官ら核心関係者の暴走が次々と明らかになり、国民は根本的な疑問を抱くようになった。尹大統領が在任2年7ヵ月の間、心に抱いていた大韓民国の政治とは何だったのか。大統領が見せたのは、憲法が踏ん張り、国民の犠牲で築き上げた民主主義と共和の精神とはかけ離れたものだった。権威主義独裁への回帰を夢見ていたのではないか疑われる。

尹大統領は真夜中に武装部隊を国会に送り込み、憲法に則って戒厳解除の採決を行う議員を引っ張り出すよう指示した。「議決定足数が満たされていないようだ。ドアを壊せ」という大統領の指示を受けたという特戦司令官の言葉は、国憲を乱す内乱行為を立証している。しかし、法的判断以前に武力で国会を踏みにじることができるとか、一部の極右ユーチューバーが流布する不正選挙論に捉われたことは恐ろしいことだ。

国会を非効率的な集団と見ていた大統領は、総選挙後には国会を打倒の対象にしたようだ。だから、協治せよという助言と要請を無視していたのだ。大統領は自分自身も国会も、いずれも民心の代理人であるという事実を忘却した。尹大統領自身はわずか0.73ポイント差で勝ったにすぎないのに、政府を自由自在にし、総選挙で圧勝した野党を反国家勢力と規定してしまった。大統領が戒厳の夜に警察庁長に直接渡した逮捕対象名簿には、国会議長や与野党代表、前大法院長(最高裁長官)まで含まれていた。大韓民国国民の自尊心を踏みにじる決定的な場面として記憶されるだろう。

尹大統領就任後、過去に逆戻りしたような場面が多かった。大統領は今年に入って国会に足を運ばなかった。国会開会式の不参加は1987年の改憲以来初めてであり、新年予算案の施政演説不参加は11年の慣行を破った。国軍の日の軍事パレードを10年ぶりに復活させ、昨年と今年、2年連続で実施したのは、全斗煥(チョン・ドゥファン)政権以来だ。政治の時計を45年前に戻したというのは間違いではない。大統領候補時代、「クーデターと5・18を除けば、政治は(全斗煥が)よくやったという人が多い」という言葉は尋常ではない。

公職生活26年だというが、大統領の組織運営は民主的ではなかった。大統領は自分に集中する情報に酔って節度を失い、発言を独占し、討論を妨害した。大統領に任命された閣僚たちが自分たちを「猫の前のネズミ」と呼ぶほど威圧的だったという。大統領は強い権威を望んだが、実際はごく少数の人としかコミュニケーションを取らず、自分自身を孤独にしたようだ。

民主主義の核心軸である法治も自ら崩壊させた。野党には厳しく、妻には寛大な二重基準で検察を蹂躙した。自分の手で朴槿恵(パク・クンヘ)元大統領を総選挙介入容疑で起訴しておきながら、妻とともにブローカーのミョン・テギュン氏と通じて、与党「国民の力」の公認に介入した疑いを受けている。本人の肉声まで公開されたが嘘で誤魔化し、さらなる録音が公開されたことで嘘がバレた。

尹大統領が招いた破局は戒厳のためだけでない。体に染み付いた独善と独断、自分の考えだけが重要で、参謀であれ、野党であれ、世論であれ、耳を閉ざしてしまう古いスタイルが積み重なり、堤防が決壊したのだ。今の憲法と制度も完璧なわけではないが、それ以前にシステムの頂点に立った大統領の権威主義的な態度が大韓民国を危機に追い込んだわけである。