「最高の元大統領であり、平和の仲裁者」
ジミー・カーター元米大統領(1977年1月~81年1月在任・写真)が29日(現地時間)、ジョージア州プレーンズの自宅で死去した。100歳だった。
カーター氏は在任中、中国とのデタント(緊張緩和)を主導し、イスラエルとエジプトの和平交渉を仲裁した。しかし、1979年にイランの「イスラム革命勢力」が駐イラン米大使館に米国人52人を444日間拘束した人質事件、オイルショックによる高物価や低成長などで再選に失敗した。
在任中は「米国史上最も人気のない大統領」という汚名を着せられたが、退任後は民主主義や人権保護、貧困撲滅などに尽力し、「最も尊敬される元大統領」「望ましい元大統領のロールモデルを提示した」と評価された。特に、北朝鮮、キューバ、ボスニアなど紛争地域を訪れ、平和を強調した功績で2002年にノーベル平和賞を受賞した。
韓国との縁も深い。1979年に韓国を訪れた際、朴正熙(パク・ジョンヒ)元大統領に金大中(キム・デジュン)元大統領など維新体制に反対した在野の釈放を求め、在韓米軍の撤退にも言及した。また、金氏が80年代初めに新軍部政権下で死刑を宣告されると、救命運動にも乗り出した。
特に、北朝鮮の核危機で韓半島の戦争の可能性が取りざたされた94年6月、平壌(ピョンヤン)を訪れ、北朝鮮の金日成(キム・イルソン)主席(当時)と北朝鮮の核凍結などを話し合った。北朝鮮と米国は同年10月、スイスのジュネーブ合意を通じて第1次核危機を収束させた。
カーター氏は退任後、「ハビタット(住居建築活動)」に30年以上参加するなど、人権、奉仕活動も行った。歴代米大統領の中で最も長寿だったが、皮膚がんの一種であるメラノーマ(悪性黒色腫)などで昨年2月から自宅でホスピスケアを受けていた。
バイデン米大統領はカーター氏を「偉大な米国人」と称え、国葬を指示した。これにより、30日間、米国内外の官公庁で弔旗が掲揚される。また、来年1月9日を「国家哀悼の日」と定め、カーター氏を追悼することを決めた。
申晋宇 niceshin@donga.com