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乙巳の年を鬱々とした気持ちで迎える

Posted January. 07, 2025 08:31,   

Updated January. 07, 2025 08:31

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今年は乙巳(きのとみ)の年だ。昨年、乙巳士禍(朝鮮王朝の乙巳の年に起きた粛清事件)、乙巳保護条約(第二次韓日協約)を言及し、「政治的に不吉なことが起きそうだ」という怪談が出回ったが、結局戒厳事件が起きた。今年上半期は政治的に激動の時間が繰り広げられることになった。この結果がどうであれ、政治的·経済的影響は長く続きそうだ。長く続くというよりは、良い方向であれ悪い方向であれ、あるいは痛みを伴う方向であれ、重要な変化の軸になると思う。

よりによって蛇年なので、迷路のような世の中と果てが分からない結果がなおさら象徴的だ。私たちは蛇の胴体のような曲がりくねった谷間を通り抜けて明るい世の中に向かっているのだろうか。蛇の口に入っていく途中なのだろうか。

蛇は私たちの文化では愛される動物ではない。西欧文明の半分であるキリスト教文明でも蛇は邪悪なものとされる。しかし、残り半分のヘレニズム文化で、蛇は意外と尊重される。アテネのアクロポリスには神聖な蛇が鳥かごの中に住んでいた。医神アスクレピオスの象徴は蛇が巻き付いた杖だ。救急隊の目印となったヘルメスの杖「ケーリュケイオン」にも2匹の蛇が巻き付いている。アテネ女神像の足元に青銅の蛇が置かれ、ポンペイローマ住宅の台所の壁画には必ず蛇が描かれている。

二重の意味もある。蛇の知恵は狡猾さを意味する。割れた舌は政治家と詐欺師の舌を象徴する。人々は狡猾さを嫌うが、世の中を生きていくためには狡猾でなければならないと言う。相手の狡猾さは悪であり、私たちの狡猾さは能力である。割れた舌と偽善は今や韓国社会では正義になっている。

蛇と乙巳という言葉に罪はない。私たちの運命は、私たちの考えと手によって作られる。ソクラテスがアテネの街で嘆いた状況が、私たちの時代にも繰り広げられている。この狭い狭路を蛇のように突き抜けられる2025年になることを願う。