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初の展示会、緊張と酷評…白南準の「生涯の一端」鮮やかに繰り広げられる

初の展示会、緊張と酷評…白南準の「生涯の一端」鮮やかに繰り広げられる

Posted April. 10, 2023 08:33,   

Updated April. 10, 2023 08:33

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短くてぼさぼさの巻き毛をした小柄な東洋人男性がギャラリーのあちこちを歩き回り、機械に触れている。1963年、ドイツのヴッパータール・パルナスギャラリーで初のビデオアート展を開いた白南準(ペク・ナムジュン、1932~2006)だ。ドイツの現地メディアは、「若い韓国人芸術家が衝撃を与えようとしたが、結果はつまらなかった」と酷評した。しかし、白南準は後に韓国出身の世界的な芸術家になった。

白南準がどのように芸術家として生き残ったかを描いたドキュメンタリー「白南準:月は最も古いテレビだ」が韓国系米国人監督のアマンダ・キムの演出で今年米国で発表された。白南準を扱ったドキュメンタリー映画の制作は今回が初めて。この映画を所蔵する蔚山(ウルサン)市立美術館は先月29日、ソウル西大門区(ソデムンク)にある梨花(イファ)女子大学ECCアートハウスモモ1館で試写会を開いた。蔚山市立美術館では6~8日に上映した。

映画は、白南準の深い芸術的文脈ではなく、彼の人生にスポットライトを当てることに集中した。生前の白南準の姿を収めた映像、彼が残した文章、また彼を記憶する美術関係者のインタビューで構成された。白南準の文は、映画「ミナリ」の俳優スティーヴン・ユァンがナレーションを務めて読み上げた。白南準とコラボしたチェリストのシャーロット・モーマン、マース・カニンガム、妻の久保田成子と甥の白田健のインタビューもある。

興味深いのは、やはり生前の白南準の姿だ。初の個展で緊張した表情、メディアの酷評を聞いて苦渋の表情を浮かべるも平然としているなど、不安な中、芸術的信念を貫き通した生涯の一端が鮮やかに繰り広げられる。

白南準は1957年、実験音楽家ジョン・ケージの公演を見て、「全く別の人間になり、自由になる勇気を得た」と話した。その自由をテレビに応用し、彼は一方向に映像を伝送するテレビのルールを破った。ブラウン管に磁石を当てて画面を歪め、テレビを改造して観客が映像を操作できるように変える。

経済的に困窮していた白南準が雨漏りのする家に住んでいて、大雨が降った日に妻が作品と記録を救ったというエピソードもある。白南準は、「この時、すべてを失ったなら自殺しただろう」と話した。1950年に韓国を離れ、34年後の84年に帰国し、韓服を着て姉とピアノを弾き、両親の墓参りをする顔には複雑な感情が表れる。映画を一般公開する日程は決まっていない。


金民 kimmin@donga.com