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米軍政の独島出張命令書、東北アジア歴史財団が初公開

米軍政の独島出張命令書、東北アジア歴史財団が初公開

Posted August. 17, 2023 08:30,   

Updated August. 17, 2023 08:30

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1947年8月、朝鮮山岳会(現・韓国山岳会)が、南朝鮮過渡政府の独島(トクト、日本名竹島)調査団と共に実施した「鬱陵島(ウルルンド)・独島学術調査」に米軍政庁が直接関与したことを示す文書が初めて公開される。

東北アジア歴史財団は、ソウル永登浦区(ヨンドゥンポク)のタイムズスクエア内の独島体験館で17日に開幕する企画展示「1947、鬱陵島・独島学術調査を行く」で、第1次鬱陵島・独島学術調査当時に作成された文書5件を初めて公開する。朝鮮海岸警備隊の孫元一(ソン・ウォンイル)総司令官(1909~80)が、宋錫夏(ソン・ソクハ)朝鮮山岳会長・鬱陵島学術調査隊長(1904~48)に送った「鬱陵島学術調査隊一行海上輸送の件」と学術調査に参加した隊員の名前が書かれた「鬱陵島学術調査隊編成名簿」、第1次学術調査を終えた後、宋隊長が国際報道連盟に投稿した「古色鮮やかな歴史的遺跡の鬱陵島を訪ねて」の草稿などだ。

特に47年8月15日、米軍政庁のアーチャー・レルヒ軍政長官が承認した「米軍政庁の出張命令書」は、独島調査が軍政長官の命令によって行われたという事実を証明する史料とされる。2ページのこの公文には、米軍政庁が47年8月に許可した公務員の地方出張日程や目的地などが記録されており、宋隊長ら韓国人6人の独島出張を許可する内容も含まれている。東北アジア歴史財団のホン・ソングン責任研究委員は、「米軍政庁が独島を韓国の管轄区域として管理していたことを示す」と説明した。

第1次鬱陵島・独島学術調査は、47年4月に日本人が独島に侵入し、韓国漁船に銃撃を加えた事件に対応するために推進された。過渡政府を率いていた安在鴻(アン・ジェホン)民政長官(1891~1965)が朝鮮山岳会に依頼し、専門家63人が参加する大規模な官民調査団が結成された。

10月31日まで、無料。


イ・ソヨン記者 always99@donga.com