「雪国」で知られる北海道札幌を出発し、多くのスキー旅行者を乗せた日本航空(JAL)の旅客機は、2日午後5時47分頃、羽田空港に着陸した。会社員のAさん(47)も、楽しかった旅行を思い出しながら、座席のモニターで着陸シーンを見ていたという。飛行機が無事に滑走路に降り立った喜びも束の間。Aさんは、「突然『ドン』と大きな音がして、旅客機の翼が炎に包まれた」と当時の衝撃を振り返った。
2日に発生した羽田空港の旅客機衝突は、一歩間違えれば大惨事につながりかねなかった。旅客機と衝突した海上保安庁の航空機は6人のうち5人が命を落とした。一方、乗客367人と乗務員12人が乗っていたJAL旅客機は14人が負傷したが、全員が助かった。奇跡のような脱出劇について、米CNNは、「1985年に惨事を経験したJALが『血で書かれた』安全基準を40年間忘れなかった結果」と評価した。
85年の惨事とは、同年8月12日、東京から大阪に向かうJAL123便が御巣鷹の尾根に墜落し、520人が死亡した最悪の航空事故を指す。当時、韓国人6人も命を落とした。ボーイング社側の修理不良が原因とされるこの事故で生き残ったのは4人だけだった。
その後、独自の安全基準を強化したJALは、厳しく訓練された乗務員が、事故が発生した場合、着陸から90秒以内に乗客を機内から脱出させる「90秒ルール」を実施してきた。2005年にも、東京本社に事故の残骸の展示館を設けるなど、安全教育を忘れていない。
読売新聞によると、事故当時、旅客機内も燃料の焦げた臭いがし、一瞬にして熱と煙に包まれた。しかし、乗務員たちは、「まずは落ち着いて鼻と口を覆うように」と案内した後、拡声器を使って「前方から脱出してください」と叫んだ。機内放送はトラブルが発生し、作動しなかったという。
一部の乗客は、棚から荷物を取り出そうとしたが、乗務員が制止したという。会社員のジョセフ・ハヤシさん(28)は、「乗務員が『スーツケースを置いて出てください』と叫び、何も持たず出た。家の鍵も取れなかった」と朝日新聞に語った。
脱出した乗客は誘導に従い、速やかに旅客機から離れた。すぐに爆発音が鳴り響き、旅客機は炎上した。乗客のBさん(59)は、「全員が避難するのに約5分しかかからなかった」と日経アジアに語った。このような迅速な対応で、旅客機に搭乗していた乗客と乗務員は全員脱出に成功した。
国土交通省は2日夜、記者会見で、事故発生の経緯について、「滑走路に進入して着陸していたJAL旅客機と、離陸のために滑走路に進入していた海上保安庁の航空機が衝突した」と明らかにした。関係当局が3日、本格的な調査に着手した中、NHKは、「管制官と海上保安庁の機長が滑走路への進入許可の有無をめぐって相反する話をしている」と政府関係者を引用して報じた。
イ・ジユン記者 asap@donga.com