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[オピニオン]大文豪・燕巌

Posted July. 25, 2007 03:03,   

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「陳蔡の地で金に困っているが、道を行うためにそうなったのではない。(中略)この膝を曲げないことが長くなり、どんな良い官職も私ほどではないはず。私は急いでお辞儀をする。多ければ多いほど良い。それに、またとっくりを送るので一杯入れて送ってくれてはどうか」。燕巌朴趾源(ヨンアム、パク・ジウォン、1737〜1805)が友人の朴斉家(パク・ジェガ)に送った短い手紙だ。数日飢えているので金を貸してくれという依頼だが、どうせ金を貸すならそのついでに酒も送ってほしいという内容だ。その隠喩とユーモアには驚く。

◆権臣の洪国栄(ホン・グクヨン)によって僻派に追われ身辺に脅威を感じると、黄海道金川(ファンヘド・クムチョン)に逃げた燕巌は、1780年(正祖4年)に親戚の兄、朴明源(パク・ミョンウォン)が進賀使兼謝恩使として清へ行く時に同行する。丙子胡乱に見舞われる中でも小中華思想や名分論から脱することができずに党争に没頭していた朝鮮(チョソン)社会から清国への紀行は、開闢のような経験だったに違いない。熱河と北京の新文物を見た感銘を土台に、朝鮮に対する批判と改革の方向を提示した本が『熱河日記』だ。

◆「許生(ホセン)伝」は、『熱河日記』に収録された漢文小説だ。南山(ナムサン)に暮らす許生は卞(ビョン)氏から借りた金10万両で商売をし、巨財をなす。彼はこの金を民にすべて配って20万両を卞氏に返した後、卞氏などとともに経世治国を論ずる。今日の用語で「買い占め売り惜しみ」である許生の致富術と富国利民の近代的経済観には膝を打つほかない。燕巌を韓国最初の新自由主義者と言えば、過ぎた表現だろうか。

◆燕巌の散文を翻訳し、最近『燕巌散文精読』を発行したソウル大学の朴熙秉(パク・ヒビョン)教授は、燕巌を「朝鮮のシェイクスピア」と評した。英国人が「インドとも交換しない」と自負するシェイクスピアほどの奥深い思惟と文章を見せてくれるというわけだ。燕巌は北学派のトップであると同時に改革的な社会思想家としては広く知られているが、朴教授の今回の翻訳の仕事は、文章家・燕巌に気軽に接することができるようにしてくれる。真夏の夜に燕巌の奥ゆかしい散文の世界にはまってみるのはどうか。

鄭星姫(チョン・ソンヒ)論説委員 shchung@donga.com