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[オピニオン]99円、すなわち1276ウォン

[オピニオン]99円、すなわち1276ウォン

Posted December. 25, 2009 10:40,   

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日本の名古屋にある三菱工場は、世界第2次大戦末期に戦闘機を製造していた。1944年、朝鮮の幼い少女たちは、この工場に「勤労挺身隊」という名で徴用された。戦争中に労働力が不足すると、遠く朝鮮にいる幼い少女まで作業に動員したのだ。当時、小学校6年生だった梁錦徳(ヤン・クムドク)さんは、「日本に行けば、学校に行け、お金も稼げる」という教師の話を信じて、この工場にやって来た。梁さんは、1年以上つらい労働に苦しめられたが、学校は見物もできず、給料を受け取ることもできなかった。会社側は、「給料は年金で納付される」という言葉を繰り返しただけだった。

◆今では年老いた少女たちは、ここで働いていた事実を生涯隠して生きてきた。「挺身隊」という名前のため、慰安婦と誤解されることがあった。彼女たちは、韓国と日本の市民団体の助けで、99年に日本政府と三菱に対して損害賠償を請求した。しかし、訴訟は昨年、東京最高裁判所で最終棄却され、失敗に終わった。強制動員被害者の補償問題は、1965年の日韓交渉の時に終結したいうのが理由だった。

◆彼女たちは、日本の社会保険庁に最後の期待をかけた。工場で働いて払い込んだ年金の脱退手当金を支給するよう申請を出した。社会保険庁は、「過去の記録を探すのに時間がかかっている」として10年間時間を引っぱったが、今年9月、年給納入証明書を見つけたと明らかにし、補償が実現するかに見えた。しかし、社会保険庁が今月中旬、被害者7人に支給した金額は1人当たり99円(1276ウォン)だった。被害者の金ソンジュさんは24日、ソウル日本大使館の前で記者会見を行い、「会社に給料をくれと言ったら『韓国に戻れば送ってやる』と言われたが、64年経っても何の連絡もない。工場で眠らずに働いた代価が99円ということか」と激怒した。

◆深い傷を受けて帰国した被害者に、日本政府は約60年前に受け取る金額と同じ金額を支給した。日本政府の安易な歴史認識に怒りを越え、絶望を禁じえない。金で被害者の痛みを癒すことはできないが、少しでも謝罪の心があるなら、このような呆れた結論にはならなかっただろう。被害者の感情に目をそむける限り、日本は過去の問題から先に進むことはできない。

洪賛植(ホン・チャンシク)首席論説委 chansik@donga.com