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[オピニオン]自分の訃報、自分で書く

Posted August. 15, 2013 03:57,   

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「これまで多くの寵愛を受け、また、少なからぬご迷惑をかけました。ありがとうございます。私は今日旅立ちます。皆さん、さようなら」

1974年2月8日付の東亜(トンア)日報に風変わりな訃報広告が掲載された。この5日前、享年80才で他界した元報道関係者の秦学文(チン・ハクムン)氏が事前に作成した自身の訃報だった。東亜日報創刊の立役者であり、全国経済人連合会副会長を務めた秦氏は、葬儀を行った後に掲載してほしいと、生前に別れのあいさつを書いた。

◆「こんにちは。アート・バックウォルドです。私は少し前に死にました」。2007年1月18日、ニューヨークタイムズの電子版に、前日に死亡した米国の人気コラムニストが自分の死を伝える動画が掲載された。事前に肉声で製作された映像だった。隣国日本でも、2011年の大地震の後、自分の訃報や遺言を書いておく人が増えたという。昨年上映された日本のドキュメンタリー映画「エンディングノート」は、娘が死を控えた父親の姿をカメラで記録した作品だ。胃がん末期を宣告された父親は、「死の準備をすることを一世一代のプロジェクト」と淡々と受け入れた。

◆先月28日付の米シアトルタイムズの有料訃報欄に、女性作家ジェーン・ロッターが書いた自身の訃報が掲載された。61才で他界した彼女は、「自分の訃報を書く時間を持てたことが、がん闘病の長所だ」という冗談で書き始め、「私は人生というプレゼントを受け、今このプレゼントを返そうと思う」と書いた。『戒老録』の著者、曽野綾子は、「楽しく生きたので、いつこの世を去ってもいいと思えることが、人生の心理的決裁だ」と述べた。生前に書く自分の訃報は、決裁書類に自ら印を押す行為と同じだということだ。

◆『内面紀行—先人は自ら墓碑銘を書く』という本によると、昔の人は自分の墓に埋めたり墓の前に立てる碑銘を事前に作る「自銘」を通して人生の意味を探し求めた。自銘であれ訃報であれ、強いて文字で書かなくても生きている間に死に直面する自分の姿を時々想起する必要がある。残された日々を大切に過ごそうという誓いであり、美しく意味ある最期のための人生の知恵ではないだろうか。

高美錫(コ・ミソク)論説委員 mskoh119@donga.com