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「妾に残した財産、後に最も親孝行した子どもが相続」

「妾に残した財産、後に最も親孝行した子どもが相続」

Posted January. 29, 2014 03:23,   

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配偶者が遺産の最大半分まで相続するという相続法改正案が、再婚した配偶者と前配偶者の子どもとの対立の原因になると指摘されている。こうした中、朝鮮時代に子どもの遺産相続の条件を庶母への孝行に結びつけた古文書が公開された。

晋陽河氏の家門が所蔵した分財記(財産の相続と分配を記録した文書)で、韓国学中央研究院(韓中研)が公開した。死六臣の1人である河緯地(ハ・ウィジ)の甥、河ウォン(1451〜1518)の妾、甘荘が死の前、1531年に残した文書だ。

甘荘はこの文書が作成される13年前、夫の河ウォンから遺産を受け継いだ。平民出身の妾だった甘荘には子どもがおらず、自分が死んで寂しく老いていくことを心配した夫が残してくれた遺書のおかげだった。甘荘が譲り受けた遺産の規模は明らかでないが、1人で暮らす女性には十分だったと推測される。

興味深いのは、遺書に示された但し書きだ。河ウォンは遺書に甘荘が生前にこの財産を保有し、後に本妻の子どもに渡すようにしたこと、本妻との実子のうち誰に財産を残すかは甘荘の決定に任せるという条件を付けた。甘荘は本妻の子どもに良くは映らない庶母だが、後に財産を相続するために甘荘をぞんざいに扱わないようにという河ウォンの配慮だった。

経済的補償への期待のためかは分からないが、河ウォンが死んだ後も本妻の子孫は甘荘を大切にした。特に孫のチョルミンが孝行し、これを覚えていた甘荘は後に病状が悪化すると、遺産相続の対象にチョルミンを指定した。

分財記には「(チョルミンが)近くに暮らし、朝夕私の心を安らかにし、奉祭祀にも最善をつくした」と記されている。甘荘が残した財産は、奴婢2人、水田と畑7斗落、飯釜と汁釜1つずつだった。

この文書を公開した韓中研蔵書閣のキム・ハクス室長は、「財産の相続と結びつけて孝を効率的に引き出そうとした先祖の考えをうかがうことができる事例だ」とし、「常に両親を訪ねることが親孝行という常識を改めて確認させる」と話した。